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広島高等裁判所 昭和55年(う)6号 判決 1982年2月25日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

昭和四六年一二月二二日付起訴状記載の公訴事実(業務上過失致死傷)について、被告人は無罪。

理由

<前略>

第一本件の審理経過

本件は上告審からの差戻事件であり、これまでの審理経過の概要は次のとおりである。

一(一)被告人に対する昭和四六年一二月二二日付起訴状記載の公訴事実の要旨は、「被告人は昭和四六年五月二三日午後八時四〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転して岡山県備前市三石二、九三七番地付近の国道を毎時約五〇キロメートルの速度で西進していたが、自動車運転者としては常に進路の前方左右を注視し安全を確認して進行し、路上の障害物等の発見遅滞による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、対向車の前照灯に気をとられるなどして漫然前記速度で進行した過失により、進路前方の道路上に放置されていた燃料用タンク(長さ八〇センチメートル、幅五〇センチメートル、高さ三〇センチメートル)に全く気付かず、自車右前輪を右タンクに乗り上げて自車を右斜前方に暴走させ、折柄同道路右側を対向して東進中の三宅義博運転の普通貨物自動車左前部に自車左側部を衝突させ、よつて、自車の同乗者橘高美津子(当時四七年)を大脳完全破裂により即死させ、同三阪真理子(当時二六年)、同住井澄子(当時四〇年)を同日午後九時一五分ころ、同市内の診療所において、右三阪については頭蓋開放性骨折等により、右住井については顔面頭蓋複雑骨折等により、それぞれ死亡するに至らせたほか、同三阪聖(当時二か月)に対し加療約二〇日間を要する右陰のう裂創等の傷害を負わせた。」というものであり(以下、業務上過失致死傷事件の本位的訴因という。)、(二)検察官作成の昭和五一年一一月二四日付予備的訴因追加請求書記載(同日、右予備的訴因の追加許可)の事実の要旨は、「被告人は、前記公訴事実記載の日時ころ、業務として普通乗用自動車を運転して同記載の国道を前照灯を下向きにしたまま毎時約七〇ないし八〇キロメートルの速度で西進していたが、自動車運転者としては法定の制限速度(毎時六〇キロメートル)に従うは勿論、前照灯を下向きにしていれば前方照射距離が短縮されるのであるから速度を調節して進路前方左右を注視し安全を確認しつつ進行し、路上の障害物等の発見遅滞による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然前記高速度で進行した過失により、進路前方の道路上に放置されていた前記公訴事実記載の燃料用タンクに全く気付かず、自車右前輪を右タンクに乗り上げて自車を右斜前方に暴走させ、同記載の三宅義博運転の覚通貨物自動車左前部に自車左前部を衝突させ、前記公訴事実記載の如く自車の同乗者三名を死亡させ、同一名を負傷させた。」というものであり(以下、業務上過失致死傷事件の予備的訴因という。)、(三)昭和四八年一二月二〇日付起訴状記載の公訴事実は、「被告人が、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四八年一〇月一日午後四時三〇分ころ、広島県尾道市高須町防士トンネル東詰付近道路において、軽四輪の普通貨物自動車を運転した。」というものである(以下、無免許運転の訴因という。)。

二広島地方裁判所尾道支部は、第一審として、昭和五二年五月一〇日、業務上過失致死傷事件について、事故現場に差しかかつた際の被告人運転車両(以下、被告人車という。)の走行速度は毎時約五〇キロメートルではなく、毎時約七〇キロメートルであつたと認められるので、右速度が毎時約五〇キロメートルであつたことを前提とする本位的訴因は肯認できない旨説示してこれを排斥したうえ、同事件の予備的訴因(なお、被告人車の走行速度を毎時約七〇キロメートルと特定し、被告人の速度調節義務の内容を、前照灯の「照射距離である約三〇メートルの範囲内で進路前方の障害物を発見して直ちに急制動の措置を採ることによつてこれとの衝突を回避し得られる程度(時速約五〇キロメートル以下)に減速」する義務であると具体的に判示し、被告人に右注意義務違反の事実を認定した。)及び無免許運転の訴因について被告人を有罪として、「被告人を罰金三万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」旨の判決をした(以下、これを原判決という。)。右判決に対し、検察官から控訴の申立がなされた。

三広島高等裁判所第四部は、控訴審として、昭和五二年一一月二八日、検察官の量刑不当の控訴趣旨に理由があるとし、「原判決を破棄する。被告人を禁錮一〇月及び罰金二万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」旨の判決をした(以下、これを旧二審判決という。)。右判決に対し、被告人から上告の申立がなされた。

四最高裁判所第三小法廷は、上告審として、昭和五四年一二月四日、被告人らの上告趣意はいずれも刑事訴訟法四〇五条の上告理由にあたらないとしながら、職権調査のうえ、「原判決(旧二審判決)破棄、差戻」の判決をしたが(以下、これを差戻判決という。)、その理由は、要するに、旧二審判決が容認した原判決認定の業務上過失致死傷の事実のうち、被告人車の事故当時の走行速度が毎時約七〇キロメートルであつたとの点については、事実の誤認を疑うべき顕著な事由がある、すなわち、(一)原判決の右の認定に副い、被告人車の走行速度を毎時六八ないし八〇キロメートルと判定している鑑定人長町三生作成の鑑定書及び証人長町三生に対する第一審裁判所の尋問調書を検討してみると、この鑑定は、被告人車の衝突直後の速度が毎時六〇ないし八〇キロメートルであるとの判断を前提としているところ、右判断に至つた理由についてはなんらの具体的かつ実証的な根拠があげられていないにひとしく、したがつて、この「鑑定の結論の正確性は保しがたいものがあるといわなければならない。」し、(二)関係証拠から認められる本件事故の「衝突の態様、被告人車の破損の状況、程度及び乗員の死傷発生の状況などに照らすと、被告人車の衝突時における速度は相当高速であつたと推測されるところである」が、「これらの事実から、直ちに被告人車の事故直前における走行速度が第一審判決(原判決)認定のとおりであつたと認定することは、できないように思われ」、(三)第一審における三宅義博の証言も、その内容に徴し原判決の前記認定を支持するに足りないものといわなければならず、(四)他面、被告人車の走行速度が毎時五〇キロメートル程度であつた、との点において被告人の供述は捜査段階以来一貫しており、(五)上告審公判廷に顕出された成蹊大学工学部教授江守一郎作成の弁護人宛の鑑定書及び別件民事訴訟事件における証人江守一郎に対する広島地方裁判所の尋問調書の写によると、江守教授は「被告人車の事故直前における走行速度は毎時五〇キロメートルであつたと判断されるとしてその理由(この中には、若干首肯しがたい点もないではない。)を詳細に説明していることが認められ」、これらの「各認定事実、証拠及び資料を総合すると、被告人車の事故当時における走行速度は毎時七〇キロメートルを相当下回るものであつたとみられる余地があり、この点に関する第一審判決(原判決)の前記認定には事実の誤認を疑うべき顕著な事由があるといわなければなら」ず、原判決の右認定を容認した旧二審判決には重大な事実誤認を看過した違法があり、本件業務上過失致死傷罪のほかこれと併合罪の関係にある道路交通法違反罪の点を含め、旧二審判決は全部破棄を免れない、というに帰着する。

以上一ないし四の審理経過に基づいて、当裁判所は前記控訴趣意(量刑不当の主張)に対する判断に先立ち、記録を調査し、とくに、差戻判決の指摘するように原判決の業務上過失致死傷事件に関する事実認定に誤認が存するか否かの点を中心に事実の取調べを行つてその審理を遂げたものである。

第二当裁判所の判断

一関係証拠により認められる事実

原判決が判示第一の事実につき掲記する関係証拠によれば、

1 被告人が昭和四六年五月二三日午後八時四〇分ころ、業務として普通乗用自動車(昭和四四年型コロナマークⅡ、以下、被告人車という。)を運転して、国道二号線の通称船坂山トンネル東側(姫路側)より西側(岡山側)に向け前照灯を下向きにして進行したこと、被告人車が同トンネル西側口を出た直近(約八メートル)の進路上に放置されていた燃料用タンク(先行車両が落下し、気付かずに放置したものと推測される。)に全く気付かず、自車右前輪を右タンクに乗り上げ、自車をセンターラインをこえて右斜前方に暴走させ、折柄同道路右側を対向して東進中の三宅義博運転の普通貨物自動車(昭和四五年型日野レンジャー4.5トントラック、以下、三宅車という。)左前部に自車左側部を衝突させたこと、

2 被告人車は右衝突後、自車右側の前、後輪を同道路右側側溝に落輪して、三宅車の左後方(同車の進行方向からみて左後方)に停止したこと、三宅義博は直ちに下車して被告人車の被害者を救済しようとしたが、自車が邪魔になるので、通行車両の運転手の協力を得て自車(走行不能)を後方(西方)にひつぱつて移動したうえ、被告人車の左側ドアをあけようとしたところ左側ドアが破損してあかないため、現場に居合わせた数名の者と協力して被告人車の後部を持ち上げて、右側後輪を側溝から外し、同車後部をセンターライン寄りに移動させ、車体を斜めの状態に置き(後記亀高写真③、④、⑤のとおり)、被告人車の同乗者の救出に当つたこと、

3 右衝突事故により、前記公訴事実記載のとおり、被告人車の同乗者三名が死亡し、一名が傷害を負つたこと、

以上の事実を認めることができ、右事実については当事者間にほぼ争いがないところである。

二被告人車の走行速度について。

前記第一の本件の審理経過にかんがみると、右業務上過失致死傷事件に関して原判決が認定したような被告人の過失責任が認められるかどうかについて調査するに当り、まず事故現場にさしかかつた際(つまり、道路上に放置されていた燃料用タンクに衝突する直前)の被告人車の走行速度がどの位であつたかを判定する必要がある。かかる観点から本件記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討した結果、当裁判所は、江守一郎作成の鑑定書(昭和五三年二月二四日付、原田弁護人宛のもの)、同人作成の回答書(同五四隼一一月一〇日付、同弁護人宛のもの)、別件民事訴訟事件における証拠調期日調書(謄本、広島地方裁判所昭和四七年(ワ)第二二五号、証人江守一郎に対する尋問調書)、証人江守一郎の当公判廷における供述と同証人に対する当裁判所の尋問調書、江守一郎作成の意見書(第二項を除く。昭和五五年一一月一四日付、当裁判所宛のもの)、同人作成の当裁判所石橋裁判長宛の書面(同五六年一月一六日付)(以上を総称して、以下、江守鑑定という。)並びに被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、原審第一九回及び第二〇回公判調書中の被告人の各供述記載その他の関係証拠を総合して、右走行速度を毎時五〇キロメートル程度と認めるのが相当であり、これと異る走行速度を判定している原審鑑定人長町三生作成の鑑定書及び証人長町三生に対する原裁判所の尋問調書(以上を総称して、以下、長町鑑定という。)並びに当審鑑定人樋口健治作成の鑑定書及び証人樋口健治に対する当裁判所の尋問調書二通(以上を総称して、以下、樋口鑑定という。)は、いずれも採用し難い、との結論に達した。この点は(差戻後の)当審において当事者双方が最も争うところであるから、右鑑定結果の採否について説明を付加すると、被告人車の走行速度に関しては、(一)毎時約六八ないし八〇キロメートルとする長町鑑定、(二)毎時約六〇キロメートルとする樋口鑑定、(三)毎時約五三キロメートルとする江守鑑定が存在する。

しかし、まず、(一)長町鑑定は、被告人車の衝突直後の速度を毎時六〇ないし八〇キロメートルであると判断したうえ、この数値を前提として力学上の方程式等を使用した計算を行い、被告人車の衝突直前の速度を毎時約六八ないし八〇キロメートルと判定しているものであるところ、右判定の前提となつた衝突直後の被告人車の速度に関する判断(毎時六〇ないし八〇キロメートル)については、「被告人車の破損状況、同乗員の死傷者発生の情況から大雑把にいつて、被告人車の衝突後のスピードは時速六〇キロないし八〇キロぐらいであろう。時速五〇キロ程度ではかような事態になり得ない。」というのであつて、この点に関し、差戻判決は、前記第一、四のとおり、「なんらの具体的かつ実証的根拠をあげていないにひとしいものであ」ると批判し、「したがつて、右鑑定の結論の正確性は保しがたい」と判示しているのである。(差戻後の)当審では、この点に関して新らたな資料の取調べがなく、その解明が全くなされていないのであるから、右鑑定の結論は採用できないものというほかない。次に、(二)樋口鑑定は、関係証拠から認められる本件現場の状況、被告人車と三宅車の破損状況、事故による乗員の死傷状況、これに関する被告人や三宅義博の供述内容等を総合して検討し、被告人車の走行速度を判定しているものであるが、特に、司法警察員平田三郎作成の昭和四六年五月二四日付実況見分調書(以下、平田見分調書という。)に添付された写真(以下、亀高写真という。)の④から、現場の路面上には、被告人車が本件燃料用タンクに衝突したのち右斜前方に走行した際に印象したスリップ痕が認められるとし、又、亀高写真の③、④、⑤から、現場の路面上には、被告人車と三宅車の衝突によつて生じたガラス破片の散乱が認められるとしてこのスリップ痕の位置、形状とガラス破片の散乱状態から被告人車と三宅車の衝突地点を推定し、これにより両車両の衝突後の移動距離等を推定したうえ、力学上の諸法則に基づく計算を行い、その結果として「被告人車は毎時約六〇キロメートルで走行中、本件燃料用タンクに衝突し、ハンドルをとられて右側に寄りながら、若干減速しつつブレーキを踏もうとする状態でセンターラインを越え(その付近からスリップ痕二本を印象する。)、毎時約四五キロメートルの速度のころに、毎時約五〇キロメートルの速度で対向車線を東進してきた三宅車に衝突し、同車に押し戻される形で北側面の石垣に自車の右後隅部を衝突させ、右前後車輪を側溝に落して停止したものと考えられる(但し、被告人車の走行速度については、誤差範囲を約一〇パーセントとすれば、毎時五五ないし六五キロメートルの間にあつたものと推定される。)。」と判定しているものである。右に見る如く、樋口鑑定においては、被告人車と三宅車との衝突地点を推定し、これが被告人車の走行速度判定の極めて重要な前提になつていると解されるところ、右衝突地点は路面上に印象された被告人車のスリップ痕の位置、形状と衝突によつて生じたガラス破片の散乱状態から推定されていることが明らかである(そのため、右衝突地点は、被告人車の停止位置より約七メートル前方の地点となる。)。しかし、関係証拠を仔細に吟味してみると、(1)亀高写真④から路面上に被告人車のスリップ痕が印象されているものと認められるか、(2)同③、④、⑤から路面上に衝突によつて生じたガラス破片が散乱しているものと認められるか、についてはそれぞれ多大な疑問が存在する。すなわち、まず、右(1)の点について、樋口鑑定によれば、亀高写真④で路面上に写つている二本の条痕様痕跡は、被告人車の左前車輪、左後車輪のタイヤによつて印象されたスリップ痕に間違いなく、三宅車や事故前後に通行した他車のものとは考えられない、というのであり、亀高写真④に自動車のタイヤによつて印象されたものと思われる痕跡が写つていることは否定できないところである。しかし、平田見分調書にも亀高写真(の説明部分)にも、この痕跡に関しては何らの記載がなく、亀高写真の撮影者である司法巡査亀高佳晃(当時岡山県備前警察署交通課事故係所属)は原審(第一一回公判期日)において、「事故後間もなく現場に赴き、平田三郎(当時右交通係長)を補助して実況見分を行つた。写真撮影のために付近を歩いて見たが乗用車のスリップ痕は見当らなかつた。」旨明確に証言しているのであつて、交通事件担当の捜査官が実況見分に赴きながら事故原因の解明に重要な役割をはたすことの明らかな被告人車のスリップ痕の存在を見落したものとは考え難く、その他、この亀高写真④を除けば、本件記録中に被告人車のスリップ痕の存在を窺わせるような証拠は見当らないのである。しかも、当審において、改めて平田三郎、亀高佳晃の両名に証言を求めたところ、平田証人は「亀高写真④をみると、写つている痕跡は自動車のタイヤによるスリップ痕かもしれないが、これが被告人車のものでないことははつきりいえる。実況見分の時にはスリップ痕の存否につき注意した筈であるが、スリップ痕はなかつたと記憶している。」旨供述し、亀高証人は「亀高写真④をみると、写つている痕跡はスリップ痕のようにも思われるが、被告人車のものか他の車のものかは、はつきりしない。実況見分の時、スリップ痕に気付かなかつたことは間違いない。」旨供述しているのであつて、被告人の供述によるも三宅車と衝突するまでの間に急停止の措置を講じた形跡は全く窺えないのみでなく、関係証拠によれば、右現場には事故後右実況見分以前にパトロール・カー、救急車その他の自動車が到着し、発進した情況が窺われ、これら被告人車以外の車両のタイヤによつて亀高写真④の痕跡(スリップ痕か、軽油に汚染された単なるタイヤ痕かも明白ではない。)が印象された可能性も否定できないのである。とすれば、亀高写真④の二本の条痕様痕跡が被告人車の印象したスリップ痕であると断定することには、俄かに左袒できないといわなければならない。又、前記(2)の点、つまり、亀高写真③、④、⑤に写つている白く光る粒状のものが衝突によつて散乱した車両のガラスの破片であるか、について検討すると、樋口鑑定は、これを肯定し、しかも、その散乱状態から衝突地点が推定できるものとしているのであるが、平田見分調書、亀高写真(の説明部分)には、ガラス破片の散乱につき何らの記載がなく、当審取調べの平田証人は、「現場にはガラス破片や塗膜片などが散乱していたと記憶している。しかし、亀高写真③、④、⑤に写つている白く光るものが全部ガラス破片かどうかはわからない。白く光るのはフラッシュを使用したためとも考えられる。」旨供述し、亀高証人は、「亀高写真③、④、⑤をみると、写つているのはガラス破片のようにも思えるが、実況見分当時にガラス破片の存在を確認したという記憶はない。」旨供述しているにすぎないのであるから、三枚の白黒写真を根拠として、現場の路面上に衝突による車両のガラス破片の散乱を認めることは疑問であるのみならず、仮に、亀高写真③、④、⑤に写つているものがガラス破片であるとすれば、これによく似た白く光る粒状のものは本件衝突場所とあまり関係のない同写真①、②、⑥、⑦にも写つているのであつて、樋口証人の説明をきいてみても、同人が前者(③、④、⑤に写つているもの)をガラス破片と認め、後者(①、②、⑥、⑦に写つているもの)をガラス破片ではないと判断した理由は曖昧であり、加えて、樋口鑑定が亀高写真③、④、⑤に写つているガラス破片の散乱状態からこれらの写真に撮影されていない他の路面部分におけるガラス破片の散乱状態を推認し、更に、これによつて被告人車と三宅車の衝突地点を推定していることについては、その根拠に実証的なものが乏しく、俄かに首肯できないところである。このように検討してみると、樋口鑑定が被告人車の走行速度判定の重要な前提としている被告人車と三宅車の衝突地点は、証拠上認められない事実関係に基づいて推定されたものといわざるをえないのであつて、そうであれば、樋口鑑定の結論、つまり、被告人車の走行速度に関する判定部分は、その余の点を検討するまでもなく信頼性の乏しいものというほかなく、たやすく採用できないところである。

そこで、更に、(三)江守鑑定について検討すると、(1)江守一郎作成の前掲鑑定書、前掲証拠調期日調書、江守一郎作成の前掲回答書によれば、江守鑑定は、関係証拠によつて、被告人車と三宅車の型式、重量、重心位置等の諸資料、現場の道路状況、燃料用タンクの形状、重量、死傷者の発生状況等を調査し、とくに、衝突による被告人車と三宅車の破損状況を仔細に検討して、衝突の態様につき概括的な把握を行うとともに、被告人車の左側面の破損状況を変形量として算出し(約2.1立方メートルとする。)、これを追突による車体後部での等価変形長さに換算し(約1.6メートルとする。)、衝突による速度変化量(有効衝突速度)と車両の変形量の関係についての既知のデータ(外国車同志によるもので、江守教授著「自動車事故工学」九二頁に図六・二一として掲載されているもの。)によつて、かかる後部変形量をもたらした速度変化量を求め(毎時四〇キロメートルとする。)、一方現場の諸状況等を参酌して被告人車と三宅車は共に衝突後すぐその近くに停止したもので、三宅車は衝突時に停車寸前であつたと考え、両車両の衝突後の速度を零としたうえ、まず、被告人車と三宅車との各衝突直前の速度を得(それぞれ毎時四〇キロメートル、毎時7.5キロメートル)、これから順次、重力の加速度、横すべり抵抗係数、横すべり角、滑り距離、タンクと路面の滑り摩擦係数、タンクの滑り距離等を考慮して被告人書のタンクとの衝突直後の速度(すべり開始速度)、タンクとの衝突前の走行速度を推定し結論として、被告人車の走行速度を毎時47.9キロメートルとしたが、その後、最高検察庁検察官の指摘(上告審の弁論要旨)により誤算、誤記等を訂正して、右結論を毎時48.3キロメートルと判定している。しかし、(2)当審における証人江守一郎の供述(当公判廷の証言及び当裁判所の尋問調書、以下同じ)、同人作成の前掲意見書、同人作成の前掲書面によれば、江守教授において、差戻判決後に、現場の状況、被告人車の破損状況、三宅車の衝突前の走行状況などについて再検討してみたところ、被告人車の衝突後の速度を零としたことは、被告人車の破損状況等に照らして誤りであり、又、三宅車は、現場で被告人車の走行の異常に気付くまでは通常の速度(毎時四〇キロメートル程度)で走行してきたとみるのが相当であるから、右異常に気付いたのちの制動措置を考慮しても、三宅車が衝突時に停車寸前であり、衝突後の速度を零とすることも誤りである、と考えるようになつた、そこで、以上の考察を前提とし、いわゆる繰返し計算の方法(種々の衝突速度、衝突角度による衝突態様を想定し、その数値から力学的に計算可能な衝突後の車両の運動と停止の態様を求め、これが実際とあまりに異る場合は、想定された衝突態様を消去して物的証拠と矛盾のない結果が出るまで繰返し計算する方法)により計算をし直した結果、これらの点につき先の鑑定書の判断を改め、関係数値等に修正を加え(但し、先の鑑定書では、三宅車の衝突前の速度をかなり低いものとみていたので、被告人車の破損状況に照らし被告人車は横滑りして三宅車に衝突したものと考える必要があり、横すべりを前提とする数式を使用したのであるが、三宅車の衝突前の速度が相当高いということになつたため、被告人車の横すべりは考える必要がなく、その点の数式に変更が生じた旨説明している。)被告人車の走行速度を毎時52.6キロメートルと判定するに至つた、としているのである(なお、被告人車の前記横滑りの可能性も否定される訳ではないので、これを考慮した数式で計算すれば、その走行速度は約五七キロメートルということになるけれども、事故の状況等にかんがみると、横滑りを考えない方がよい、旨説明している。)。

右に見る江守教授の事故解析の方法、前提となる事実関係の認定、速度判定の過程は概ね納得できるものであり、特に合理性に欠けるものとして排斥すべき事由も発見できないので、その鑑定の結論、とりわけ、当審における供述によつて修正された結論、についてはこれを採用するに足るものと思料される。尤も、右鑑定は、被告人車の走行速度を毎時52.6キロメートルと判定していて、これに至る過程で微細な計算を行つているが、前提とされた事実関係の数値の大半は概数であつて、誤差があることは否めないところであり、当裁判所は、右江守鑑定は本件事故当時毎時約五〇キロメートルの速度で走行していた旨終始弁明している後記被告人の供述を裏付けるに足りるものと考える。

これに対して検察官は、(1)「江守鑑定には誤記、誤算が多いばかりでなく、重要な事項に見解の変更がみられ、結論も度々訂正あるいは修正されているので、信頼性に乏しい。」と主張する。なるほど、先にもみたように、江守鑑定は、誤記、誤算の訂正だけでなく、衝突の態様あるいは被告人車と三宅車の衝突後の速度等に関する判断に変更がみられ、これに従つてその結論も部分的に修正されていて、このことは、慎重であるべき鑑定人(裁判所の命令による正規のものではないが)の鑑定態度として軽率とのそしりを免れないように思われる。しかし、江守一郎作成の前掲回答書、同意見書及び当審における同人の供述の内容を検討してみると、これらの訂正、変更若しくは修正には、それぞれ理由ないし根拠が付せられており、関係証拠に照らしても首肯できるところと認められるから、かかる変更、修正の事実を理由としてその結論の信頼性を否定することは相当でなく、この主張は採るを得ない。次に、検察官は、(2)「江守鑑定はその基礎となつた資料が不明確である。特に、最も重要な資料と目される亀高写真につき記録中のものを使用していないことはその正確性をゆがめるものである。又、三宅義博ら重要参考人の供述を全く無視しているのは不当である。」と主張する。しかし、当審における江守証人の説明によれば、同人は鑑定の基礎資料を原田弁護人から公判記録の写等の形で貸与されたものであり、その中に不適当なものが混入したり、重要なものが欠落していた疑いは全くないことが認められる。江守教授は裁判所から命令された正規の鑑定人ではないのであるから、かかる方法で基礎資料を収集することはやむをえないところと考えられるし、記録中の亀高写真を使用しなかつたために鑑定に誤りが生じたものと解すべき具体的事由も見当らないので(亀高写真によつて被告人車のスリップ痕等の存在を認めた樋口鑑定が採用できない所以は前説示のとおりである。)、この主張も理由がない。又、江守鑑定書中には、交通事故の解析に際しては関係者の供述の信憑性に疑問があることが多いので、これを基礎とすべきでない旨の記載が存し、当審における江守証人の供述の中にも三宅義博らの供述は措信しないとしている部分があるけれども、右供述の内容を仔細に検討してみると、江守教授は事故関係者の供述を全て無視している訳ではなく、瞬間的な出来事である衝突の態様、運転者の対応措置、対向車の速度などについては正確性が期待できないのでこれを重視しないというにすぎないものと解されるのであつて、そうであれば、このような供述証拠の評価方法に誤りがあるとはいえないから、この点の主張も失当である。更に、検察官は、(3)「江守鑑定は、衝突による車両の変形量と速度変化の関係を検討するに際し、本件のような国産車同志の対向斜め衝突とは態様を異にする外国車同志の追突事故に関するデータを使用しているが、明らかに失当である。」と主張するのであるが、江守鑑定書及び当審における江守証人の供述によれば、「外国車と国産車との間には強度等の点でさしたる差がないし、自動車の変形に対する強度は前部を除き側面及び後部はほぼ等しいのであるから、変形量と速度変化の関係を検討する際、他に適切な資料がない以上、外国車同志の追突事故のデータを使用するのが相当であり、かつ、やむを得ないところである。しかも、この数値はコンピューターによる繰り返し計算のため、初期値として使用するにすぎないから、これが多少不適切であつても結論には影響ない。」というのであつて、この説明は首肯できるところであり、これを誤りと判断すべき具体的事由もないから、この主張も採るを得ない。なお、検察官は、(4)「江守鑑定において採用されている諸数値と数式を使用して計算してみても、被告人車の走行速度は毎時69.2キロメートル(江守鑑定書の場合)あるいは毎時65.5キロメートル(当審江守供述の場合)になる筈である。」と主張するが、江守一郎作成の前掲回答書と当審における江守証人の供述を参酌しながら、右主張の基礎となつている最高検察庁検察官作成の弁論要旨の内容を検討してみると、右弁論要旨で検察官が使用している被告人車の(三宅車との)衝突後の減速度の決定方法には不適切な点があり、そのため被告人車の右衝突後の速度、ひいてはその走行速度が過大に算出されていることが認められるから、この主張にも理由がない。その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果、とりわけ、江守鑑定に関して樋口鑑定が縷々論難する諸点を考慮して再検討してみても、江守鑑定、就中、当審において修正された江守鑑定の結論部分に誤りがあるとは認められないので、これを措信して採用するのが相当である。

ところで、被告人車の走行速度に関する証拠としては、叙上検討の(一)ないし(三)の各鑑定のほかに被告人や三宅義博の供述等が存在する。まず、(1)被告人は、事故発生の翌日(昭和四六年五月二四日)の司法警察員の取調べに対し、「時速五〇キロメートル前後で西進し、船坂山トンネルを出たのは記憶しているが、その後のことはわからない。」旨供述して、事故現場にさしかかつた際の走行速度が毎時約五〇キロメートルであつたと述べ、以後、同年六月九日の司法警察員の取調べ、同月二八日及び同年一一月一三日の検察官の取調べに対しても、更に、原審及び当審の各公判廷においても同趣旨の供述をなし、とくに、同年一一月一三日の検察官の取調べに対しては、「自分は免許を取得して一年足らずのことであつたし、船坂山トンネルの内部は狭く、対向車がセンター・ラインすれすれに寄つてくると危いと思つていたので、時速五〇キロメートル以上で走ることはできなかつた。」旨述べ、原審(第一九回公判期日)においては、「船坂山トンネルの東側口までの勾配がきつく、スピードがおちるので右東側口付近での速度は毎時四〇キロメートルから五〇キロメートルまでであり、その後も、トンネル内に排気ガスが多く、幅員も狭いので、向うから大きなトラックでも来れば左に寄らなければこわい位であり、スピードは出せない。瞬間的な速度については絶対的なことはいえないが、トンネル内から本件現場まで毎時五〇キロメートル程度で走行していたと思う。」旨述べているのであつて、差戻判決も指摘する如く、供述に一貫性がみられるうえ、毎時五〇キロメートル程度の速度で走行したことの理由として述べるところにも納得できるものが存し、刑責を免れるための弁解として排斥し難い真実性が認められ(尤も、被告人の当公判廷における供述中、急な坂を上り、船坂山トンネルの東側口を入つたところで自車の速度計を見て、毎時五〇キロメートルであることを確認した旨の部分はたやすく措信できない。)、前記江守鑑定と相俟つて、被告人車の走行速度が毎時五〇キロメートル程度であつたことを認めさせるものである。次に、(2)三宅義博は原審証人として、「被告人車はかなり速度が出ていたと思う。時速六〇キロメートル位は出ていたと思う。」旨供述しているが、他方、「瞬間的なことなので被告人車の速度はわからない。相手車の速度であり、よくわからない。」とも述べており、経験豊富な職業運転手とはいえ、突差の場合の判断であつて、右三宅の証言をもつて被告人車の走行速度が毎時五〇キロメートル程度であつたことを否定することはできないところである。(3)その他差戻判決が説示するように、関係証拠から認められる衝突の態様、被告人車の破損の状況、程度、乗員の死傷発生の状況などからは、「被告人車の衝突時における速度は相当高速度であつたと推測されるところである。」けれども、これらの状況は、被告人車の走行速度を毎時五〇キロメートル程度と認めることと矛盾するほどのものではない〔江守鑑定が指摘するように、これらの状況を決定するのは、被告人車が衝突した時の速度そのものではなく、衝突による速度変化であると考えられる。)。

以上の検討によれば、被告人車の走行速度は毎時五〇キロメートル程度と認めるのが相当であつて、更に記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて再検討しても、右結論を左右するに足る証拠、資料若しくは事実は発見できない。

三被告人の過失責任について。

前記一、二で検討したところによれば、被告人車は前照灯を下向きにしたまま毎時五〇キロメートル程度の速度で走行中本件事故に至つたものと認めるのが相当であるから、これと異り走行速度を毎時約七〇キロメートルと認定し、この速度を前提として被告人に対し原判示のような減速義務違反(前照灯の照射距離の範囲内で進路上の障害物を発見して直ちに急制動の措置をとることによりこれとの衝突を回避し得る程度―毎時約五〇キロメートル以トの速度―に減速すべきであるのにこれを怠つた過失)の事実を認めた原判決は誤りであるといわなければならない。しかしながら、本件において、被告人が被告人車を運転走行中、原判示日時場所で、自車の右前輪を進路前方センター・ライン左の路上に放置されていた燃料用タンクに乗り上げて自車を右斜前方に進行させ、対向走行中の三宅車に衝突させて、自車の同乗者三名を死亡、一名を負傷させるという交通事故を惹起したことは一で認定したとおりであるから、右事故について被告人に過失責任、特に主位的訴因のような業務上過失責任(つまり、進路の前方左右を注視しその安全を確認して進行し、路上の障害物等の発見遅滞による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、対向車の前照灯に気をとられるなどして漫然毎時約五〇キロメートルの速度で進行したという過失による責任)が肯認できるかどうかが次に検討されなければならない。

ところで、被告人は、差戻判決も指摘する如く、捜査段階以来一貫して、「毎時五〇キロメートル程度の速度で走行中、船坂山トンネルの西側口を出る直前ころ対向車の前照灯のライトが目に入つたという記憶はあるが、その直後、全く原因を理解できない状態で三宅車に衝突した。」旨供述し、路面上に放置されていた燃料用タンクの存在を全く認識しないままこれに乗り上げたものであることを自認しているのであるが、道路運送車両の保安基準(昭和二六年七月二八日運輸省令六七号)三二条二項三号―昭和四八年七月運輸省令二三号による改正前のもの―によれば、本件当時、普通乗用自動車の前照灯には照射方向を下向きに変換した場合に夜間前方三〇メートルの距離にある交通上の障害物を確認できる性能が必要とされていて、被告人車の前照灯も右性能を有していたものと認められるから、事故当時の現場の道路、照明及び車両等の状況、放置されていた燃料用タンクの位置、形状、色相、その他気象、排気ガス等の諸条件を参酌してみても、燃料用タンクの存在が全く認識できなかつたものとは考えられず、この認識を欠いたままタンクに乗り上げた被告人には何らかの理由による前方注視不十分の過失(例えば、対向車の前照灯に気をとられた、疲労等のため注意が散漫になつた等)があつたものと認めざるをえない。しかし、この前方注視の不十分をもつて直ちに被告人の過失責任を肯認することはできないのであつて、その存否を判断するためには、事故当時の具体的情況のもとにおいて、(一)毎時五〇キロメートル程度で走行した場合における本件燃料用タンクの視認可能性、つまり、被告人に前方注視不十分がなかつたとして、いつ、どの位手前で右タンクの存在に気付くことができたか、について検討し、(二)タンクとの衝突回避の可能性、つまり、右速度で走行中、タンクに気付いたのち、急制動措置若しくはハンドル操作あるいはその併用によつてタンクとの激しい態様の衝突(ひいては、三宅車との激突)を回避することができたか、を検討し、仮に、これが否定されるのであれば、より低い速度で走行する注意義務等の主位的訴因以外の注意義務とその違反による過失責任の存在が肯定できるか、を検討する必要がある。

(一)関係証拠によれば、本件事故現場は岡山県備前市所在の東西に通ずる全長約一キロメートルの船坂山トンネル(内部道路の幅員は両側合計約六メートル)の西側口を出た直近の道路(国道二号線)上であること、右道路はアスファルトで舗装されており、幅員は両側合計約8.5メートル、その外側にそれぞれ幅員約0.7メートルの側溝(無蓋)が、更にその外側に石垣が設けられていて、現場の車両交通量は夜間でもかなり多い(平田見分調書によれば、事故当夜の実況見分時において五分間に約六〇台、長町鑑定によれば、一時間におよそ八〇〇台)こと、本件燃料用タンクは、大型貨物自動車の補助タンクであり、鉄製で黒ずんだ色を呈し、その長さは約0.8メートル、幅は約0.5メートル、高さは約0.3メートルであり、前記トンネルの西側口から西方約八メートルでセンター・ラインの少し南側(被告人車の進行車線内の右側であり、長町鑑定によれば、センター・ラインからタンクの中央が約0.9メートル、最も内側が約1.36メートル南側の位置と推認される。)に放置されていたこと、事故当時の天候は曇り又は霧雨であり、トンネルの内部は比較的明るかつたが(長町鑑定によれば、その照度は約五〇〇ルックス)、その西側口の外部はかなり暗かつたこと(長町鑑定によれば、設けられていた照明灯が汚れていたため、その照度は数ルックス程度、当審証人川上晃弘の供述によればその照度は四ルックス以下)、以上の各事実が認められる。

そこで、右のような事実関係を前提とし、普通乗用自動車を運転し、前照灯を下向きにしたまま毎時五〇キロメートルの速度で本件トンネル内を西進するという条件のもとで、運転者はどの位手前で本件燃料用タンクの存在に気付くことができるか、につき考察すると、この点に関する証拠、資料としては、(1)司法警察員平田三郎作成の昭和四六年一〇月二九日付実況見分調書(及び原審第四回、第五回、第六回公判調書中の証人平田三郎の供述記載)によつて認められる右平田三郎らの行つた実験の結果、(2)司法警察員川上晃弘作成の実況見分調書(及び当審証人川上晃弘の供述)によつて認められる右川上晃弘らの行つた実験の結果、(3)原審鑑定人長町三生作成の鑑定書(及び証人長町三生に対する原裁判所の尋問調書)によつて認められる右長町三生の行つた実験の結果とこれに基づく同人の鑑定結果が存在する(なお、江守鑑定にも視認可能性についてふれた部分が存するが、これは、右(3)の長町鑑定の視認可能性に関する部分について、人間による実験には限界があるので、その結果を実際の事故の場合にそのまま適用することはできない旨を指摘したものにすぎないと解される。又、樋口鑑定にも、視認可能性に関する部分があるけれども、右(3)の長町鑑定を引用した個所を除外すれば、「運転者が前方下方の路面を見ている限り、本件燃料用タンクは視認できる筈である。」と結論するだけで、その理由にふれるところがなく、いつ、どの位手前で視認可能か、についてまで言及しているものではないから、これらの鑑定について特に検討すべきものはない。)。

まず(1)の実験の結果は、本件燃料用タンクの存在を予知している場合、前記条件(普通乗用自動車、毎時五〇キロメートル、前照灯下向き、トンネル内西進)のもとにおいて、約三〇メートル手前で右タンクを視認できる、というものである。しかし、この実験では、本件燃料用タンクの代りとして、灯油缶(縦0.35メートル、高さ0.25メートルのもの)二個を並べて使用しているのであつて、右灯油缶が本件燃料用タンクより光ることは担当者の平田自身も認めているところであるから、代替物として不適当というほかなく、重要な点に欠陥のある実験と考えられるので、右結果を参酌することはできない。

次に、(2)の実験についてみると、これは、司法警察員川上晃弘を責任者とする交通事件担当の警察官が、昭和四八年三月三日本件事故現場において、曇天の夜間、車両の交通を遮断し、トンネル西側口の外部にある照明灯は本件事故後新球にとりかえられていたところから、その照明をできるだけ暗くし、本件燃料用タンクの代りとしてほぼ同じ形状、色相の段ボール箱を使用して行つたものであり、前記条件のもとにおいて、被験者が右タンク(の代用物)の存在を予知している場合には、約22.9メートル手前でこれを視認することができ、その結果、急制動措置によつてタンクの手前で停止することが可能であつた。と判定するものである。江守鑑定が指摘し、長町証人も肯定しているように、人間を被験者として人間の認識、行動の能力に関する実験を行う場合には、当該被験者が無意識のうちに実際(平常)の場合とは異る能力を現わす可能性があり、それ故、その実験結果については慎重な評価が必要と考えられるが、この点を別にしても、右(2)の実験は、被験者が一人で、しかも、自動車の運転に比較的熟練した警察官であること、実験の回数が少ないこと(走行速度毎時五〇キロメートル、前照灯下向きという前記条件については一回だけであり、同速度で前照灯上向きの場合が二回、速度あるいは前照灯の向きを変えたものを含めて合計九回にすぎない。)、弁護人指摘の如く、交通を遮断したことによつて被験者は対向車等の動静に注意を払う必要がなくなり、トンネル内外の排気ガスによる影響も少なくなつていた可能性があるなどの点で、事故当時とは情況を異にしていること等の問題点が存在するから、この結果をもつて本件事故の場合の視認可能性や回避可能性につき断定を下すことは早計であろう。しかしながら、右実験結果のうち、前記条件のもとにおける燃料用タンクの視認距離が約22.9メートルであつた、との部分は、右実験のうち走行速度や前照灯の向きを変えて行つた他の八回の場合と対比し、更に、後記(3)の長町鑑定人による実験の経過及び結果等と比較してみて、矛盾や不合理な点が認められず、経験的にも頷けるところであつて、このことから少なくとも、「(A)本件事故現場においては、道路上の障害物が自動車の前照灯の照射距離範囲内に入つても直ちに視認できる訳ではなく、本件燃料用タンクのような形状、色相の物体の場合、運転者がその存在を予知していても、これを現実に視認できるのは、その約二三メートル手前にすぎない。」という意味で、視認可能性に関する一資料になるものと思料される。

更に、(3)の長町鑑定人による視認可能性及び回避可能性に関する実験とこれに基づく鑑定について検討する。この実験は、学生四名ないし六名を被験者とし、本件事故現場において、曇天の夜間、車両の交通を遮断し、トンネル西側口の外部にある照明灯を前(2)同様できるだけ暗くし、対向車をトンネル西側口の西方約四一メートルの地点に前照灯を下向きにして停止させ、本件燃料用タンクを使用して行つたものであつて、その結果、前記条件(普通乗用自動車、毎時五〇キロメートル、前照灯下向き、トンネル内西進)のもとにおいて、(ア)被験者に実験内容を説明せず、タンクの存在を知らせなかつた場合、四名の被験者が右タンクの存在に気付いた(但し、まだタンクであるということまでは判らない。)のは、それぞれ、その手前25.35メートル(被験者N)、11.30メートル(同S)、9.50メートル(同K)、3.0メートル(同H)の地点であり、一名の被験者(H)はタンクに自車を衝突させたが、他の三名の被験者のうち一名(N)は制動措置とハンドル操作の併用によって、残り二名(S、K)はいずれも急制動措置によつてそれぞれ右衝突を回避した、(イ)被験者にタンクの存在を知らせておいた場合、六名の被験者は、タンクの手前28.40ないし47.95メートルの地点でこれを視認し、視認距離の算術平均は約38.12メートルであった、というものである。この実験に関しても、人間が被験者となつて行う実験であることに伴う限界があるほか、被験者及び実験回数が少ないうえ、交通を遮断して行つたことから事故当時とは情況に異なるものがあるなどの問題点の存在することは、弁護人が弁論で指摘するとおりであり、この結果の評価についてはかなり慎重な態度が必要と思われる。しかしながら、右実験から、「(B)運転者が障害物の存在を予知している場合と予知していない場合とでは、その視認可能性ないし視認距離に大きな差異がある。」ことが確認され、とくに、「運転者が障害物の存在を全く予期していない場合の視認距離は、これを予知している場合より大幅に短い。」ことも容易に推測されるところであり(右実験の結果では、同じ四名の被験者の視認距離を算術平均して比較すると、障害物を予知している場合の視認距離は予知していない場合の約三倍であり、その割合が最も小さな者でも約1.9倍である。)、更に、「(C)被験者が本件燃料用タンクのような障害物の存在を予知していない場合には、その直前に至つてやつとこれに気付くという可能性がある」との点も参考資料として考慮することができると思われる。なお、本件記録、当審における事実取調べの結果を検討しても、本件燃料用タンクの視認可能性若しくは視認距離について、他に参考となるような証拠、資料は見当らない。

以上の検討によれば、本件事故現場の具体的情況を参酌すると、普通乗用自動車の運転者が、前照灯を下向きにした状態で自車を毎時五〇キロメートルで走行させ本件トンネルを西進した場合、進路前方のトンネル西側口から約八メートル西方の地点に放置されていた本件燃料用タンクを視認することは必ずしも容易ではないのであつて、せいぜいタンクの一〇メートル程度手前でこれに気付き得るにすぎない(しかも、まだ、タンクであることまでは判らない。)と判断するほかないものと考える。すなわち、(ア)前判示のような事故現場の具体的情況を考慮すると、車両の交通量の多い非市街地のトンネルを出たところに本件燃料用タンクのような危険な障害物が放置されているということは、通常の運転者にとつて全く予期できないことであると認められるから(例えば、交通量の少ない豪雨後の山道における落石や上告審検察官があげる市街地における酔漢の横臥などの場合には通常の運転者はその存在を予知こそしていないもののある程度予期できるし予期しているのであつて、これと本件の場合とを同一視することはできない。)、その視認可能性あるいは視認距離を検討する際に、障害物の存在を予知していた場合の実験結果をそのままあてはめることは到底できないところである。(イ)そこで、障害物の存在を予期できない場合と予期できるし、予期している場合、更に現実に予知している場合とを比較し、視認可能性あるいは視認距離にどの程度の差異が生ずるかを考察すべきところ、この点については、一般に、運転者は夜間予期しない物体に対しては予期した物体を見ることができる距離のほんの二分の一でしか見ることができない、といわれており(最高裁判所事務総局編「交通執務提要」五七一頁参照。なお当審取調べの「トンネル内の物の見え方調査試験報告書」四五頁参照。)、前記実験結果(B)もこのことをある程度裏付けこそすれ、これを否定するものではないから、本件のように障害物の存在を全く予期できない場合の視認距離は、これを予知している場合の視認距離の二分の一程度ではないかと考えるのが椙当であつて、少なくとも、この割合をこえて、例えば、三分の二、四分の三などとすることには疑問があるといわなければならない。(ウ)そうであれば運転者がタンクの存在を予知していた場合における右タンクの視認距離は、前記実験結果(A)によると約二三メートルであるから、これを予期できず、予期していない場合の視認距離はその二分の一の約11.5メートル程度にすぎないということになる。(エ)そして、これらの実験結果については、前示のとおり、交通を遮断したうえで行つた実験であることから、実際の場合と対比して、運転者の視認能力や排気ガスによる影響の点等に若干の差異があると考えられるから、これをも参酌してみると、前記のとおり、事故当時における視認距離はせいぜい一〇メートル程度と判定するほかないのである。

(二)そこで、右(一)の判定に従い、一〇メートル前方の路上に本件燃料用タンクを視認した場合、これとの衝突、特に、本件の場合のように、乗り上げてハンドルをとられるという激しい態様の衝突(及び三宅車との激突)、を回避することが可能かどうか、について検討するに、(1)毎時五〇キロメートルの速度で走行する自動車に急制動をかけた場合の空走距離は、運転者の反応速度を0.8秒として約11.1メートル、これを0.7秒として約9.7メートルと計算されるから、運転者が本件燃料用タンクを進路前方一〇メートル路上に視認し、直ちに急制動措置をとつても自動車は全くあるいはほとんどその制動効果が発揮されないまま右速度でタンクに衝突(激しい態様の衝突)してしまうことになる。したがつて、本件の場合、急制動措置による衝突回避の可能性はこれを否定するほかないものである。(2)ハンドル操作若しくは急制動措置とハンドル操作の併用による衝突回避の可能性につき検討を進めると、本件事故現場の道路状況、燃料用タンクの放置位置等については先に判示したとおりであつて、被告人車の進路の幅員は約4.25メートルであり、タンクは進路の右側のセンター・ライン寄り、その最も内側(左端)が同ラインから約1.3メートルの地点に放置されていたものと推認されるのであるから、タンクの左には約三メートルの余地があつたこととなり、被告人車の幅員は約1.4メートルなので、運転者がタンクを視認し、すぐにハンドルを左に転把さえすれば、タンクに衝突することなくその傍を無事に通過することができたのではないか、仮に、衝突するとしても、前記激しい態様の衝突(ひいては三宅車との激突)は回避できたのではないか、とも考えられる。しかし、これは本件を事後的、純客観的にみた場合のことであつて、現実にかかる事態に直面した運転者が、前方の路面上の障害物が何であるかを確かめる余裕の全くないまま瞬間的判断で(約0.72秒後には衝突する。)、ハンドルを左に的確に転把することは至難であると認められる。特に、前判示のとおり、進路の左端には側溝があり、その外側には石垣が設けられているという道路状況であるから、ハンドルを左に転把しすぎれば側溝への脱輪や石垣との衝突の危険があり通常の運転者にかかる瞬間的判断と的確なハンドル操作を要求することは相当でないものといわなければならない。又、毎時五〇キロメートルの速度で走行中に、急制動措置とハンドル操作を併用すること自体、一層危険なことと認められ、到底実行できないことは明らかである。

そうしてみると、毎時五〇キロメートルという走行速度を前提とする限り、被告人が前方注視を十分にして、本件燃料用タンクの存在に気付いたとしても、その後にこのタンクとの衝突を回避することは不可能又は極めて困難であつたということになる。そして、本件事故現場の道路、照明、車両交通等の諸状況にかんがみると、トンネルの西側口の外部が暗く、そこにはどんな危険な障害物が放置されているか判らない、という考えから、発見遅滞による障害物との衝突を未然に防止するため、夜間に本件現場を通行した経験の乏しい被告人に対して、予め更に右速度より減速等して走行する注意義務を課することもできないところである(前記(一)(2)の川上晃弘らによる実験結果から判断すると、実際の場合には、自動車の走行速度が低くなれば視認距離が若干長くなるのではないか、とも考えられるが、仮に、視認距離を一〇メートルとした場合には、反応時間を0.7秒、道路の摩擦係数を0.75と仮定しても、毎時約二九キロメートル以下の速度まで減速しないと急制動措置による衝突回避はできないことになり、被告人に対し、このような減速義務まで課することは相当でない。)。

ところで、このような結論に対して、検察官は、前記(一)(3)の長町鑑定人の行つた実験の結果によれば、本件燃料用タンクの存在を予知していない場合でも、被験者は一名(視力が低い)を除いて全員タンクを視認したのちのハンドル操作や急制動措置によつて衝突を回避しているのであつて、この結果こそ重視されるべきである、と主張する。なるほど、先にみたように、長町鑑定書には検察官指摘のとおりの実験結果が記載されており、長町鑑定人は、本件燃料用タンクとの衝突の回避は可能であるとの趣旨の判定をしている。しかし、走行速度が毎時五〇キロメートルの場合、道路の摩擦係数を仮に、0.75(一般に、アスファルト舗装道路で路面乾燥の場合の摩擦係数は0.55ないし0.75とされている。前掲「交通執務提要」一五一頁、一五四頁、一六三頁参照。)としても、その制動距離は約12.9メートルと計算されるから(S=制動距離,V=秒速m/sec,f=摩擦係数の数式による。同書一五一頁参照。)、視認距離が11.30メートルや9.50メートルの被験者(S、K)は、その反応時間がいかに短くとも(零としても)、タンク視認後に急制動措置をとつたのでは、到底右タンクの手前で停止できない筈であつて、仮に、右二名の被験者がタンクの手前で停止したことに間違いないとすると、視認距離の測定に誤りがあつたか、視認前の段階で毎時五〇キロメートルという走行速度が正確に守られていなかつたか、あるいは、この二点がともに不正確であつたか、のいずれかである、と考えざるを得ないのである。換言すれば、長町鑑定において、被験者四名中三名がタンクとの衝突を回避することができたとしてもそれは、被験者が、タンクの存在こそ知らされていなかつたものの、交通を遮断して行う実験であることから、進路上で何かが生じることをある程度予期して、無意識のうちにもこれに備える態勢をとつていたことから、通常の場合より早期に(タンクの存在を予知していた場合に近い状態で)タンクを視認し、これに対応したためか、走行速度が毎時五〇キロメートルを下廻つていたためか、その両方の理由によるためであると考えられるのであつて、そうであれば、この実験結果をもつて実際の場合におけるタンクとの衝突の回避可能性を肯認する有力な根拠とすることはできず、検察官のこの点の主張には俄かに左袒できない。

なお、原審証人三宅義博は、同人が三宅車を運転して本件現場で事故に遭遇するまでの間に、数台から十台位の車両とすれちがつた旨証言しており、三宅車の同乗者である原審証人橋本祇朗も、連続的ではないが対向車が何台かあつた旨証言しているのであつて、現場の交通量(平田見分調書によれば、五分間で東進車、西進車の合計が約六〇台)から考えても、被告車の少し前を相当数の自動車が本件燃料用タンクと衝突することなく、これを回避しながら通過したのではないか、との疑問もないわけではない。しかし、記録を精査しても、路上に放置されていたタンクを認め、これとの衝突を回避しながら現場を通過した、という車両の運転者は発見されておらず、右タンクを落して現場に放置したという車両(大型貨物自動車と思われる。)は勿論のこと、これを目撃したという運転者等も全く判明していない情況であるから(極端な場合として、右タンクが放置されたあと、最初に現場にさしかかつたのが被告人車であつた、というケースも否定できない。)、結局、この点も、事故回避の可能性若しくは被告人の過失責任の存在を認めさせるものとはいえない。

以上検討のとおりであつて、これを要するに、本件事故において、進路前方の路上に放置されていた燃料用タンクに全く気付かないままこれに自車右前輪を乗り上げさせた被告人には前方注視不十分の過失があつたものというべきであるが、右過失がなかつたとしても、右タンクに気付くことができたのは、その一〇メートル程度手前(約0.72秒前)にすぎなかつたものと考えられ、急制動措置若しくはハンドル操作あるいはその併用等によるタンクとの衝突の回避は不可能又は著しく困難であつたと認められるから、結局、被告人の右過失と結果発生との間に因果関係があつたとは認め難くさりとて、被告人に対し、あらかじめ更に低速度で走行する注意義務等を課することができないことも前説示のとおりである。したがつて、本件業務上過失致死傷事件につき被告人の刑事責任を肯定した原判決は誤りというほかない。

四原判示第二の事実(無免許運転の訴因)について。

被告人が原判示第二のとおり軽四輪貨物自動車の無免許運転を行つた事実は原判決挙示の関係証拠上明らかなところ、弁護人は当審(差戻後)の弁論において、「被告人は原判示第一の業務上過失致死傷事件を惹起したことを理由として自動車の普通免許を取り消されたものであるから、右事件について被告人に過失責任のないことが明らかとなつた以上右取消処分は実質的理由を欠き無効というべきであつて、被告人の本件無免許運転には可罰的違法性がない。」旨主張する。なるほど、被告人に対する運転免許の取消処分(昭和四六年七月二七日から一年間の取消)が原判示第一の業務上過失致死傷事件の惹起を契機としてなされたものであることは、関係証拠上否定できないところである。しかし、右事件の刑事責任が前説示のような理由で否定されるに至つたからといつて、そのことから免許取消の行政処分が当然に無効であるといえないことは多言を要しない。被告人は、右取消処分の際公安委員会の関係者から処分に対して異議申立の機会があることを教えられ、その後も行政訴訟手続につき示唆されたにも拘らず、特段の事情もないのにかかる手続をとることなく放置したまま、昭和四八年四月ころに自己所有名義の本件軽四輪貨物自動車を運転していた運転手が退職したのちは、自ら右自動車を使用していたことが窺われるのであり、本件は被告人が営業(贈答品販売)上の集金等のため尾道市内において右自動車を運転した、という事案であるが、この運転行為自体にもその動機、態様等に照らし可罰的違法性を欠くものとすべき特別の事由は見当らず、その他の違法性あるいは有責性の限却事由も認められない。したがつて、原判示第二の事実を認定して、道路交通法違反罪の成立を認めた点において、原判決に誤りはないものというべく、弁護人の主張は採ることを得ない。

五結論

職権調査の結果は叙上一ないし四のとおりであつて、原判決には業務上過失致死傷の事実(原判示第一の事実)に関して事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるところ、原判決は、右業務上過失致死傷の所為につき刑法五四条一項前段、一〇条により住井澄子に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、原判示第二の道路交通法違反の罪とともに所定刑中罰金刑を選択したうえ、刑法四五条前段、四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で処断しているから、原判決は結局全部破棄を免れない。また検察官の控訴趣意(量刑不当の主張)は、その主たる前提を欠くことになるからこれに対する判断はしない。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条に則り原判決を破棄し、なお業務上過失致死傷の事実に関し新らたな証拠による真相の解明はもはや期待し難いので、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において直ちに次のとおり判決する。

原判決の認定した第二の事実に法律を適用すると、被告人の原判示第二の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に該当するが、右は原判示確定裁判のあつた窃盗罪と刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ない原判示道路交通法違反罪について更に処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処することとし、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお、原審及び当審(差戻後)における訴訟費用は全て後記のとおり無罪を言い渡すこととなる昭和四六年一二月二二日付起訴状記載の公訴事実(業務上過失致死傷の事実)の審理に関して生じたことが明らかであるから、刑事訴訟法一八一条の趣旨にかんがみ、被告人には負担させない。

次に、昭和四六年一二月二二日付起訴状記載の公訴事実の要旨は前記第一項の一(一)のとおりであり、同五一年一一月二四日付予備的訴因追加請求書記載(同日右追加許可)の事実の要旨は前記第一項の一(二)のとおりであるが、前説示のとおり、この事実については犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条後段に従い、被告人に対して無罪の言渡しをする。

よつて、主文のとおり判決する。

(石橋浩二 竹重誠夫 堀内信明)

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